ここに提示された平和条約は懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由かつ平等の一員として、国際社会へ迎えるものであります。この平和条約は復讐の条約ではなく、「和解」と「信頼」の文書であります。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します。

 過去数日にわたってこの会議の席上若干の代表団はこの条約に対して批判と苦情を表明されましたが、多数国間における平和解決にあってはすべての国を完全に満足させる事は不可能であります。この平和条約を欣然受託するわれわれ日本人すらも、若干の点について苦情と憂慮を感じる事を否定できないのであります。

 この条約は公正にして史上かつて見ざる寛大なものであります。従って日本の置かれている地位を十分承知しておりますが、敢えて数点につき全権各位の注意を喚起せざるを得ないのはわが国民に対する私の責務と存ずるからであります。

 第一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第三条によって国際連合の信託統治制度の下に置かるることもあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を私は国民の名において、多大の喜を持って諒承するのであります。私は世界、特にアジアの平和と安定が速やかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。

 千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら意義を挿しこまなかったのであります。ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して、交渉の妥結を計ったのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によって結ばれたポーツマス平和条約で日本領となったのであります。

 千島列島及び樺太南部は日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。

 また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹、歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。

 その二は経済に関する問題であります。日本はこの条約によって全領土の45%をその資源とともに喪失するのであります。8400万に及ぶ日本の人口は残りの地域に閉じ込められしかも、その地域は戦争のために荒廃し主要都市は焼失しました。また、この平和条約は莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約第14条によれば戦争のために何の損害も受けなかった国までが、日本人の個人財産を接収する権利を与えられます。欺くの如くにしてなお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか、甚だ懸念を持つものであります。

 しかし、日本は既に条約を受諾した以上は誠意を以ってこれが義務を履行せんとする決意であります。私は日本の困難な条件の下になお問題の円満な解決のためになさんとする努力対して、関係諸国が理解と支持を与えられることを要請するものであります。

 平和は繁栄を伴うものであります。しかし、繁栄なくしては平和はありえないのであります。根底から破壊された日本経済は合衆国の甚大なる援助をえて救われ、回復の途に進むことができました。日本は進んで国際通商上の慣行を遵奉しつつ世界経済の繁栄に寄与する覚悟であります。そのためにすでに国内法制を整備致しましたが、今後もその完成につとめ、且つ、各種関係国際条約にすみやかに加入して、国際貿易の健全なる発展に参与する覚悟であります。

 この平和条約は国際経済の面において、このような日本国民の念願を実現しうるべき途を開いてはおります。しかしこの途は連合国軍側で一方的に閉ざしうることにもなっています。これは平和条約の本質上、やむを得ない事かもしれませんが、われわれ日本国民としてはすべての連合国が現実にこの途を最大限に開かれるよう希望してやまないのであります。

 私の演説を用意してから、今朝インドネシア外相から私に3つの質問をされたことを承知しました。質問は、他の代表もていきされた疑問を解明しようとするものであります。答は「しかり」であります。けだし、それは条約第14条及び第9条の公正な解釈だと思うからであります。この答がこの条約の下における日本の善意に対する他の国の疑問を解決するにたることを希望します。

 その3は、未引揚者の問題であります。この平和条約の締結は、34万に達する未引揚日本人の運命について、日本国民の憂慮を新にするものであります。私は、すべての連合国が国際連合を介し、または他の方法によつて、これらなお抑留されている日本人のすみやかなる帰還を実現するために、あらゆる援助と協力を与えられるよう、人道のために切望してやまないのであります。引揚に関する規定が特に起草の最終段階において平和条約に挿入されたことは、日本国民の甚しく満足とするところであります。

 上述のような憂慮すべき事由があるにもかかわらず、否、その故にこそ、日本は、いよいよもつて、この平和条約を締結することを希望しているのであります。日本国民は、日本が平等な主権国家として上述のような懸念を除去し、諸国の不満疑惑等を解消するために現在よりも大なる機会をもつことを期待するのであります。

 私はこの会議に代表されている諸国がなるべく多く平和条約に署名されることを希望してやみません。日本はこれらの国々と相互に信頼と理解ある関係を樹立し、且つ、相共に世界のデモクラシーと世界の自由を前進させる覚悟をもつものであります。

 日本代表団はインドとビルマが会議に連なつていないことを知り甚だ残念に思います。アジアに国をなすものとして日本は他のアジア諸国と緊密な友好と協力の関係を開きたいと熱望するものであります。それらの国々と日本は伝統、文化、思想ならびに理想を共にしているのであります。われわれ日本国民はまず善隣の良き一員となり、その繁栄と発展のために十分貢献し、もつて日本が国際社会の良き一員となることを覚悟するものであります。

 中国については、われわれも中国の不統一のためその代表がここに出席されることができなかつたことを最も残念に思うものであります。中国との貿易の日本経済において占める地位は重要ではありますが、過去6年間の経験が示しているように、しばしば事実よりもその重要性を誇張されておることであります。

 近時不幸にして共産主義的の圧迫と専制を伴う陰険な勢力が極東において不安と混乱を広め、且つ、各所に公然たる侵略に打つて出つつあります。日本の間近かにも迫つております。しかしわれわれ日本国民は何らの武装をもつておりません。この集団的侵攻に対しては日本国民としては、他の自由国家の集団的保護を求める外はないのであります。之れわれわれが合衆国との間に安全保障条約を締結せんとする理由であります。固よりわが国の独立は自力を以て保護する覚悟でありますが、敗余の日本としては自力を以てわが独立を守り得る国力の回復するまで、あるいは日本区域における国際の平和と安全とが国際連合の措置若しくはその他の集団安全保障制度によつて確保される日がくるまで米国軍の駐在を求めざるを得ないのであります。日本はかつては北方から迫る旧ロシア帝国主義の為めに千島列島と北海道は直接その侵略の危険にさらされたのであります。今日わが国はまたもや同じ方向から共産主義の脅威にさらされているのであります。平和条約が成立して占領が終了すると同時に、日本に力の真空状態が生じる場合に、安全保障の措置を講ずるは、民主日本の生存のために当然必要であるのみならず、アジアに平和と安定をもたらすための基礎条件であり、又、新しい戦争の危険を阻止して国際連合の理想を実現するために必要欠くべからざるものであります。日本国民は、ここに平和愛好諸国と提携して、国際の平和と安定に貢献することを誓うものであります。

 日本が前述の安全保障の措置をとりたりとて之をもつて直に日本の侵略の恐怖を惹き起こすべきいわれはありません。敗戦後多年の蓄積を失い海外領土と資源を取り上げられる日本には隣国に対して軍事的な脅威となる程の近代的な軍備をする力は全然ないのであります。この会議の開会式の席上トルーマン大統領も日本が過去6箇年にわたる連合国の占領下に総司令官マッカーサー元帥及びリッジウェー大将の賢明にして好意に満ちた指導を得て遂行した精神的再生のための徹底的な政治的及び社会的の改革ならびに物質的復興について語られましたが、今日の日本はもはや昨日の日本ではないのであります。新しい国民として平和デモクラシー、自由に貢献すべしとの各位の期待を決してゆるがせにしない覚悟であります。

 私は最後に過去を追懐し将来を展望したいと思います。日本は1854年アメリカ合衆国と和親条約を結び国際社会に導入されました。その後1世紀を経て、その間2回にわたる世界戦争があつて、極東の様相は一変しました。6年前に桑港に誕生した国際連合憲章の下に数多のアジアの新しき国家は相互依存して平和と繁栄を相ともに享受しようと努力しています。私は国民とともに対日平和条約の成立がこの努力の結実のひとつであることを信じ、且つ、あらゆる困難が除去されて日本もその輝しい国際連合の一員として、諸国によつて迎えられる日の一日も速からんことを祈つてやみません。何となれば、まさに憲章そのものの言葉の中に新日本の理想と決意の結晶が発見されるからであります。

 世界のどこにも将来の世代の人々を戦争の惨害から救うため全力を尽くそうという決意が日本以上に強いものはないのであります。

 われわれは、諸国の全権がさきの太平洋戦争において人類がなめた恐るべき苦痛と莫大なる物質的破壊を回顧せられるのを聞きました。われわれはこの人類の大災厄において古い日本が演じた役割を悲痛な気持をもつて回顧するものであります。

 私は、古い日本と申しましたが、それは古い日本の残骸の中から新しい日本が生れたからであります。

 わが国もさきの大戦によつて最も大きな破壊と破滅を受けたものの一つであります。この苦難によつてすべての野望、あらゆる征服の欲から洗い清められて、わが国民は極東ならびに全世界における隣邦諸国と平和のうちに住み、その社会組織をつくり直して、すべての者のためによりよい生活をつくらんとする希望にもえております。

 日本はその歴史に新しい頁をひらきました。われわは国際社会における新時代を待望し、国際連合憲章の前文にうたつてあるような平和と協調の時代を待望するものであります。われわれは平和、正義、進歩、自由に挺身する国々の間に伍して、これらの目的のために全力をささげることを誓うものであります。われわれは今後日本のみならず、全人類が協調と進歩の恵沢を享受せんことを祈るものであります。